2020年の話 (就活)

2020年クソだった、と自分で決めつけるのも如何なものかと思いますが本当にクソだった。クソだった理由はいわずもがなコロナと就活なんですが、就活に関しては、コロナのせいでクソ、とかではなく、就活を通してクソみたいな自分とわざわざ向き合わざるを得なかったことがクソでした。クソクソうるさくてごめんなさい。

でも2020年は振り返ってみれば自分にとって、大切な年になったんじゃないかなと思って、書き留めておきたい。

こんなの誰も見ないだろうし、公開する意味もほぼないけど、でも誰かが見てくれるかもしれない、と思いながら書くほうが書けるので書かさせてください(書くの三段活用)。

 

1年前は、ジャニオタ就活ブログみたいなことを書くのだろうか、と未来の自分を想像したりしてました。自分も1年前はジャニオタ姉さんの就活ブログを読んで色々学んだりしてたんで、自分も書いちゃおうかな、とか思ってたのに、無理でした。だって、下の子に伝授することが何一つなさすぎて。終わった今思うのは、結局のところ、身の丈にあったところに落ち着くのが一番良いのかもしれないなって感じですね。身の丈に合ってるかどうかなんて終わった後に言えるものだと思うので、これから就活する人たちには1mmも参考にならなそうですが。

私でいうと、都会!キラキラ!大企業!福利厚生万歳!みたいなところに憧れて何社か受けましたけどどれも駄目で、本命だった公務員も駄目で(シンプルに準備不足とも言える)、いけると思っていた中小にも祈られ色々経て結局田舎の小さなところに勤める予定なんですけど、それで良かった、それが自分に合ってる、と思ってます今は。ただ、私みたいな何もしないくせにワンチャンあると思い続けているような女にとっては、結局自分って、この程度なんだな、一生このままここで死んでいくのか...みたいな諦めもなくはない。普通に野心はあるので、もっとこうなりたい!とかもっとこうしたい!みたいな夢を描くことは全然あるけど、叶わないまま終わっていくんだろうな、という感じですね。でもそれが嫌だ、とかではなくて、結局そんなもんなんだろうな自分、て感じで。多分これが、嫌!無理!って思考になれば、それなりに努力もできるのかな、と思うんですけど、それならそれでまあいいか、な性格なので私自身は何も変わらない。

だから私みたいに、自分が何も変わっていないのに今の自分よりも背伸びした状態で理想のところを受けてもまず受からないし仮に受かったとしても結局苦しいだけなんじゃないかなと思ったり。自分が理想としている企業に受かる人は、自分が理想としている人たちなのでは、と思う。例えばキラキラしている(ように見える)企業に入れるのはキラキラしている人たちであって、私とキラキラ女子の差は何なのかは自分が一番良く分かってるんすよ...。そして私はキラキラ女子に憧れてはいても、憧れるだけでそれに近づこうといった努力は特にしていない(する気がない)。かといって自分の中にあるかもしれないキラキラしている何かを見いだせているわけでもない。そういう状態で仮にそういうところに自分が入社できたとして、やっていけたのだろうかと、今になって思うわけです。環境が変わることで人が変わる可能性は否定しませんが、中学〜大学時代を振り返っても、見た目はともかく自分の精神的な部分がいつまでたってもあらゆる理想と乖離していることは否めない...。

 

就活は運ゲーではない、とは思っていますが、これまでの努力が正しく報われる場所か、と言われればそうでもない、じゃあどうすれば…と思いますが、結局のところ相性で、企業と自分のどこがマッチしているかを探っていくために企業分析と自己分析が必要、という一番面白みのないところに着地していくんだな、と思いました。ドストレートにマッチしそうなら良いけど、そうじゃない場合がほとんどなわけで戦略練って何とかして自分を売り込んでいくしかないんすね。単純かつ表面的な例でいくと、私の専門は〇〇だけど、あの企業は△△系だしマッチしないな...受けたかったけどやめるか...って誰もが最初から諦めれるなら簡単な話ですが、みんなワンチャン狙いたいわけで、何とかして滑り込もうと努力するのよ(持論)。そのためには自分ひとりの力じゃなく、なるべく多くの人の情報や意見が必要になって、だからOBOG訪問したりプロに添削してもらったり友達や家族に自分を分析してもらったりみたいな、どの就活サイトにも書いてそうなアドバイスが結局は勝つためには必要なんだなと痛感しました。でもその努力が必ずしも内定を保証するわけでもなく、面接で話してみて初めて、自分がこの企業と合いそうだと思って努力したポイントとその企業が合わせたいポイントがズレていることに気づく、そういう就活でした私の場合。この「合いそうだ」が独りよがりになるのを防ぐために、周りの人たちの意見も必要になってくるんだなあと。企業側が合わせたいポイントを明確に提示していれば良いですが、抽象的なものが多く(そりゃそうだ)分からないから自分で何とか合う部分を見つけようと、模索するんすよね。ただ最終的に企業が合わせたいポイントって、就活生から溢れ出る「空気感」がその会社の「空気」に合っているかどうかなのかなあとも思う。会社の空気なんかそこで働いている人にしか分からないもので、そこにどれだけ努力して近づけたとしても、蓋を開ければ空回りしてた場合もあるし(私の場合ほぼこれ)、何かこいつ空気感違う、異物が紛れ込んでるな、と嗅覚の鋭い面接官なら分かるし、面接官はみんな嗅覚鋭い人たちですよ、と。やっぱり運ゲーか..?

努力して近づけると言ったけど、私はずるして背伸びしている感覚だったかもしれません。自分が社会で生きていく上での根本的な欠点に自覚があって、欠点を補う努力をしていたわけでもないから、背伸びして隠そうとしてた。でも背伸びじゃどうにもならなかった。最初は一人で進めていた就活も、全然上手くいかなくて、周りにやっと相談できたのが夏の終わりで。このままじゃ人としてやばいよと言われて(脅しかよ)、初めて自分のクソみたいなところに向き合わなきゃいけなかった。これが非常に辛かったです。何より周りに言われたことが辛かったです、プライド高いので。結局向き合ってみて何か自分自身が変わったかと言われれば、現在進行形で変わろうとしている部分はあって、でも無理してまで変えることないじゃんみたいなとこもある。向き合うことと変わることはまた別で、変わらなかったとしても向き合った、という通過点的なものがあったことはすごく大切だったと思う。就活で現実を突きつけられて初めて自分は今まで真正面から向き合わずに何事も見て見ぬ振りをしてきたんだな、ということが良く分かりました。人生楽しいね(棒)。

 

上記の文章何言ってるか全然意味分からないと思うんですが、就活は、自分一人で進めようとすると絶対に失敗するし、周りの人の意見を聞くことがとっても大事だと思った、だけど、周りの人の意見ばかりが入ってくると自分を見失ってしまうので、人の意見の取捨選択を自分でできるくらいの自分にならないと精神がもたないということですね。変わらない自分と変わりたい自分と変わらなきゃいけない自分と変わりたくない自分のバランスを保つのが難しかった1年だった。

 

それで就活は総じて言えばクソ(本当にクソ)で、普通にメンタル病みました。というより抜け出せた今、あの時は病んでたんだな、とやっと自覚できるようになって。渦中にいる時は分からないもんですね。

こんな風に書くと就活まじやべえ、みたいな感じに見えるけど、自分はたまたま(いや必然的に)そうだっただけで、人それぞれ辛いこととか悲しいこととかそれぞれに色々あるよなあと思う。

 

就活、本当によく分からないものだった。そして今でも分からない。でも就活って多分社会の縮図で(?)、これから社会に出て働き始めて、選抜にかけられて、選ばれた人とかモノが残っていく、みたいなことの繰り返しかと思うと、まじでしんどいな、と思うわけです。その過程で程度の差はあれ、どれだけ自分にも仕事にも向き合わないといけないんだろうかと思うと生きていくのって大変すね(他人事)。企業は進化していかないと生き残れない、というのが私のイメージなのですが、自分自身すら変わることができない、変わらないことに心地よさを感じている私はついていけるのでしょうか。

 

2020年を通して、自分は生きていく上で自分の精神衛生、心の安定を何よりも大切にしたいと思うようになったなあ。でもそれは今の私にとっては大切な人を除いて他人でしかない他人を極力排除していく思考になっていくので、そんなんで社会で生きていけるんかとなるわけで、そうなると、自分を見つめ直し、変わらないといけない気がするんですが、どうでしょうか。

 

こんなのはてな匿名に書いとけよ、みたいなただの拗らせた喪女でしかない内容になってしまったウケる。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。今よりは変わりたいような気もするし、でも今の自分が一番落ち着く変わりたくないアンビバレント

あんまり4月からのことは考えないようにしてるけど(不安になるから)、でもシンプルに働ける、というのは楽しみでもあったりする。不安だけど楽しみ。そういう希望は持ちたい。

 

なんか暗くてごめんなさい!!別に暗くしたいわけではなかったのに暗くなった(デフォルト)!!

あんまり深く考えず人生流されるままに生きていくのが一番すね!

 

 

終わり。